真田信繁の親父である昌幸は武田家滅亡後、主君を織田、北条、徳川、上杉、豊臣と替えて生き残った読みと駆け引きのしたたかさを併せ持ち、豊臣秀吉から「表裏比興者」と評されました。今の社会に置き換えると嫌われそうな経歴ですが、当時の常識として家を残すことが第一なわけですから彼の行為というのはむしろ評価されていました。それ故に秀吉の部下であり現代では義理堅く清廉なイメージを持つ石田三成も彼と縁を結んでいます。
真田丸では初回からたくさんの家臣が武田を裏切っています。裏切りは自分の家を残す手段の一つで一方的に責められるわけではありません。…が現代と同じように褒められた行為ではなく、裏切り方を間違えると本人もしくはその子孫の末路が悲惨です。逆に主君を忠義を尽くすというのは「7回主君を変えて一人前」(実際そこまで主君を変えている人は当時でも稀だが)と言われた当時からすると変人の生き様ですが、その生き様が評価され江戸時代に大名として存続している家もあります。前置き長くなりましたが、家の存続をテーマに、どうすれば家を後世まで残せるか実例を元に考えていきたいと思います。